カテゴリー
東日本フィギュアスケート特別講座2024

【最終講】東日本フィギュアスケート特別講座 長谷川一輝 中編

2023-24シーズンをもって現役引退となった男子シングル長谷川一輝選手(東京理科大学)
毎年誕生日に合わせて行った『特別講座』を、前編、中編、後編に分けて行います。中編では5歳から始まったスケート人生について話します。最後にぜひご覧ください!

ジュニア時代

2015-16シーズンから、本格的にジュニアカテゴリーに参戦することとなりました。東北・北海道ブロックで2位、初出場の東日本選手権で9位で、全日本ジュニア選手権の出場権を獲得しました。そして、全日本ジュニア選手権で26位となりました。
2016年、第36回全国中学校スケート大会はSPを川越正大先生振付、ミュージカル『トップ・ハット』より『踊るリッツの夜』に変更しました。そして、7位入賞を果たしました。

このシーズンは最初は3T、3Sを組み込み、全中の頃には3Fを組み込んで成功、その後3Lzからのコンビネーションジャンプを成功させるようになりました。

長谷川選手と同じ2002年度生まれには、実に多彩な選手が勢揃いする世代でした。男子では、島田高志郎選手(木下グループ)、三宅星南選手(関空スケート)、木科雄登選手(関西大学)、西山真瑚選手(オリエンタルバイオ)、森口澄士選手(木下アカデミー)、女子では青木祐奈選手(MFアカデミー)、本田真凜氏、白岩優奈選手(関西大学)等の名前が挙げられます。

中学3年生になった2016-17シーズン、このシーズンの中で、筆者が初めて長谷川選手の演技を拝見しました。SP・FS共に前のシーズンから継続しました。SPにおいては指定スピンが『足替えシットスピン』に変わった結果…シットの姿勢でツイズルをし、ウィンドミルから入る足替えシットスピンというオリジナルの技を披露しました!これには多くのファンを驚かせました!最後に残っていたトリプルジャンプである3Loを成功させました。そして、シーズン最終盤には3Lz+3Tと、3回転+3回転のコンビネーションジャンプを初めて成功させました!
ブロック初優勝、東日本選手権で2位となり、地元でもある札幌市月寒体育館で全日本ジュニア選手権を迎えました。SPで4位、FS7位、総合7位、6位以内でシニアの全日本選手権に推薦で出場できるのですが、あと一歩のところで及ばなかった結果となりました。この結果をもとに、平成29年度日本スケート連盟強化指定選手に、初めて選ばれました。
翌年の1月の国体に北海道代表として初出場、個人6位、都道府県別で4位入賞に大きく貢献しました。その翌週に、国体と同じ会場で行われた全中では8位入賞しました!

この頃には3Aの練習を始めました。また、憧れの選手として、ソチ五輪銀メダリストパトリック・チャン氏の名前を挙げていました!

[1]、[3]

高校は、通学のしやすさ、競技への理解があり、姉も通っていた札幌市立札幌藻岩高校に進学しました。俳優の大泉洋氏の出身校でもあり、『文武両道』を掲げ、部活動で全国大会に出場も多数あると同時に、高い進学実績を誇る高校でした。

2017-18シーズン、SP・FS共にプログラムを変えました。SPは川越先生振付、『アランフェス協奏曲』、FSは初めて依頼した佐藤操先生振付、アルバム『KOJIKI』よりを選びました。このFSが長谷川選手にとって、一番のお気に入りのプログラムとなりました。

[20]

SPでは、このシーズンの単独の指定ジャンプがルッツだったため、新たに3F+3Tを習得し、大会で成功させました!また単独のルッツにも、飛ぶ直前のターンも工夫されていました!
FSでは前のシーズンで観客を沸かせた、シットツイズルからの足替えシットスピンをプログラムに取り入れました!3連続ジャンプを3F+2T+2Loを導入し、成功させました!和の独特な曲に合わせたプログラムに、多くのファンを惹きつけました!

ブロック、東日本と通過し、迎えた11月の全日本ジュニア選手権!SPではスタンディングオベーションが起こる素晴らしい演技で3位に付けました!しかし、FS10位、総合7位で、シニアの全日本選手権の推薦出場を、再び、あと一歩のところで及ばなかった結果となりました。この結果をもとに、平成30年度日本スケート連盟強化指定選手に選ばれました。
翌年1月に行われたインターハイ、SP3位、そして、FSは2位で総合193.10、初の総合190点越えをマーク、総合2位となりました!これが、総合としてはパーソナルベストとなりました。中2日ほど、同じ会場で行われた国体で個人5位、都道府県別で4位入賞に貢献しました!2月末に行われたFSのみで争う『2018フィギュアスケートフリースケーティング大会』で、132.77をマークしました!そして3月に、初の国際大会、ルクセンブルクで開かれたクープ・ドゥ・プランタン杯に派遣されました!ジュニア男子でSPでルッツがダブルになり3位から、FSで全てのジャンプを決め、総合2位という成績を収めました!その時の公式アーカイブ映像をご覧ください↓

出典: Coupe du Printemps Luxembourg 公式Youtubeチャンネル
SP

FS

2018-19シーズン、シーズン前に大幅なルール変更が行われました。これまで、ジュニア男子は4:00±10秒、ジャンプが8本だったところが、3:30±10秒、ジャンプ7本に変わりました。FSを映画『カサブランカ』よりに変更しました(曲についての詳しい解説は2019年をご覧ください)。SPは継続しました。このシーズンはフリップが単独のジャンプに指定されました。最初を3Fを単独、後半を3Lz+3Tにしました。

来季こそは…と懸けていた矢先、腰の疲労骨折が判明しました。当初は全治3ヶ月と診断されたもの、回復が遅く、半年ほど練習ができなくなりました。そのためシーズン前半戦を全て欠場することとなりました。

[5]

この間に、自分の進路をじっくり考えました。理数系科目が得意で、当時は半導体に興味があり、その研究をしてみたいと考えました。スポーツ推薦を全て断り、一般受験で大学進学をする事に決めました。高2の秋頃から受験勉強をしながら練習を重ね、大会に復帰しました。

[6]、[14]

復帰2戦目となった、インターハイでは個人で6位となりました。中2日ほど、その間に愛知県から北海道釧路市に移動して、行われた国体では個人12位となりました。2月末に札幌市で行われた『フリースケーティング大会』でこの映画『カサブランカ』よりにおいては初めてシニア尺を披露し、この時1番最後のジャンプで3Lz+3Tを決めました。

2019年6月、苫小牧市のリンクで兄弟子にあたる羽生氏の練習を見学し、羽生氏に直接質問もしました。その時の経験が、競技生活への姿勢を大きく変えることとなりました。前のシーズンで大怪我があり、大会に出れず、強化選手から外れ…気持ちの面で焦りがあった中、再度奮起するきっかけとなりました!

[4]、[5]

2019-20シーズンは、ジュニアとしてラストシーズン、目標は全日本ジュニア選手権で6位以内に入って、全日本選手権に出場する!

1日練習は1時間半と決め、隙間時間を活用し、受験勉強と両立を図っていました。

[14]


SPは山田先生と川越先生が振り付けた、ブライアン・セッツアー氏演奏のマラゲーニャにしました(曲についての詳しい解説は2020年をご覧ください)。
最初は3Lz+3T、3Lo、後半に2Aというジャンプ構成から、東日本以降は3A、3Lo、後半に3Lz+3Tと予定ジャンプ構成を大幅に変更しました。継続したFSでは、3Lzと3Fの両方に+3Tを付けるという構成に挑戦しました!そして、初めて3Aを導入した東日本選手権では、FSで成功しました。
8月末から9月初めにかけ行われ、そのシーズンの初戦と位置付けて出た『2019 SAPPRO CUP』と、ブロック大会ではほとんどミスのない演技で、総合190点越えをマークしました!東日本では3Aを決め、迎えた全日本ジュニア選手権では、SPで1Aとなり、FSでは3Aを回避しました。総合13位で、最後の全日本ジュニアが終わりました。
翌年の1月に、北海道帯広市で行われたインターハイでは、2Aにして演技をまとめる選択を取りました。そして、SP・FS共に大きなミス無く、スタンディングオベーションが起こる演技を披露し、SP6位、FS2位、個人総合3位に輝きました!

このインターハイが、ジュニア課題でかつ山田先生指導のもとで出る、最後の大会となりました。なお、この年から『インハイTV』で生中継、及び権利調整を行った上でアーカイブ映像に残すという試みが始まりました。そのため、公式アーカイブ映像が残っているため、無音部分がありますが、ぜひご覧ください↓

出典:インハイTV YouTubeチャンネル
SP(3:48:45~3:53:32、指定された時間から再生します)

FS(2:50:16~2:56:02、指定された時間から再生します※一部無音)

EX(2015-2017シーズンSP、12:17~16:24、指定された時間から再生します)

その後は受験に完全に集中し、東京理科大学基礎工学部に合格しました🌸この学部は1年生で北海道長万部町にある長万部キャンパスに、全寮制で学び、2年生以降は東京都葛飾区にある葛飾キャンパスに移って学ぶというシステムでした。学部体制の改編により、2020年入学生は基礎工学部として最後に長万部キャンパスを使う世代となる予定でした。長谷川選手は、近隣にリンクが無いことを踏まえ、1年間競技を休み、復帰する予定でいました。

[16]

だが、2020年1月に日本初感染が確認された新型コロナウイルスが、日本中に広まっていました。感染拡大防止のため、フリースケーティング大会、北海道選手権が中止となりました。フリースケーティング大会に長谷川選手のエントリーは無し、全北海道選手権にはエントリーが公開される前に大会中止となりました。

札幌市立の高校全ての学校で卒業式中止、更に、3月下旬には長万部キャンパスでの寮生活も中止、1年次から葛飾キャンパスで授業することが発表されました。

混迷の世の中、長谷川選手は競技を続行、上京し、新たなスケート生活を始めました。

(次のページでは、大学進学後の話をします)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です