大学進学、拠点変更、シニア参戦
新たに指導するのは横谷花絵先生、先生が所属する明治神宮外苑アイススケート場に拠点を移しました。
横谷先生は、現役時代1995年全日本選手権女子シングルで優勝、5種類の3回転ジャンプ、更には1A+1Eu+3Sを成功させ、世界の舞台を戦った選手でありました。現役引退後は、プリンスアイスワールドで3年間プロとして活動しながら、指導者としてのキャリアを積みました。振付師として、自身の生徒の他にも、全日本選手権出場選手をはじめとした、多くの実績がありました。長谷川選手が明治神宮外苑FSCに移った当時、同門に全日本選手権に連続出場中の選手、同年齢の7級男子選手がいて、更に同じクラブ内の他の先生のもとにも、西山真瑚選手(オリエンタルバイオ)、住吉りをん選手(オリエンタルバイオ/明治大学)、樋口新葉選手(ノエビア)等、実力のある選手が多く在籍していました。高いレベルの選手が多数いて、ホームリンクと呼べる場所がある、そんな環境に身を置くこととなりました。
『自分の理想とするジャンプに近いものを理論として教えてくれるコーチです。その理想像に近づけていく練習をしていました』
[20]
理想とするジャンプ、表現を追い求め、更に学業と両立と、奮闘する日々が始まったのです。
『いろんなことができるんじゃない?』
[11]
長谷川選手は横谷先生にこう言われ、横谷先生が現役時代に出来なかったことを長谷川選手にやらせたいという思いが振付に反映されていました。
2020-21シーズン、シニアに本格デビューしました。『北海道選手権』は、6級以上を所持している場合、年齢や意思関係なく、強制的に『選手権』クラスにエントリーされ、そこでシニアルールに則ったSP・FSを披露していました(※2023年からエントリー方式が変更されています)そのため、2016年から2019年まで毎年必ず1回はシニア尺を披露していましたが、フルシーズンでシニア課題で滑るのは初めてとなります。
長谷川選手の先輩が立ち上げた、東京理科大学フィギュアスケート部に所属することになりました。
[6]
9月に行われた東京ブロックが初戦となりました。もちろん、拠点変更してから初めて出た大会ともなります。しかし、感染対策のため、無観客で行われました。ファンは、ちょうどその時に始まったFODでのライブ中継越しに演技を見守ることとなりました。SPを変更、振付はコーチでもある横谷先生、ジョシュ・グローバン氏が歌う『Anthem(from “Chess”)』を選びました。FSは映画『カサブランカ』よりを3シーズン継続することとなりました。その前の2シーズンと大きく異なるのは、全ての大会でシニア課題で演技を披露するという点です。4:00±10秒に演技時間が伸び、ChSqが新たに要素として加わりました。このプログラムでは、2019年2月に行われた『2019フィギュアスケートフリースケーティング大会』と3月に行われた『北海道選手権』で2回披露されていたものの、全国大会での披露がありませんでした(詳しい解説は2021年をご覧ください)。
拠点変更後の初戦は、9月に行われた東京ブロックでした。
SPはまとめ上げて3位に付けました。この時からFSの滑走順抽選が無くなり、SPの順位の逆から滑る方式に変りました。そんな中FSは冒頭に3Aに挑戦しました。東北・北海道ブロックとは違い、多数の選手がエントリーされている東京ブロック、結果は総合4位に終わりました。続く東日本選手権も無観客で行われました。SP10位と全日本選手権出場が危うい順位でのスタートでしたが、FSは冒頭2Aにし、ほぼまとめ、FS5位で順位を追い上げ、総合6位で長年の悲願であった全日本選手権に出場が決まりました!!
11月に『都民体育大会フィギュアスケート競技会』に出場しました。東京都スケート連盟所属、あるいは、東京都に在住・在学・在勤等の条件が合えば出場資格を得られる大会でした。東京都ローカル大会に初出場となりました。この時は2位となりました。
12月の全日本選手権、有観客で行われていました。
SPはほぼクリーンに滑りきり、夢舞台に立てた喜び、東京に移ってからの進化等に感動し、スタンディングオベーションが起こる演技でした!FSは冒頭を2Aにして、滑りきりました。解説で、『カート・ブラウニングに憧れて選んだ曲』と紹介されていました。総合20位で終わりました。
オンラインで授業が行われ、その合間に練習を積み重ねていました。初めて出た全日本のあとインタビューで今後への課題、そして、『ひとまず及第点というイメージがあります。来年はまたこの大会を目指して、さらに精進していきたいです。』と語っていました。
[6]、[9]
翌年1月に行われた国体は当初有観客で行う予定でした。しかし、緊急事態宣言が再び発動された結果、無観客で行われ、代わりに『国体チャンネル』というHPにて生配信、アーカイブ映像が残されることとなりました。緊急事態宣言発動により、棄権した県もある状況でした。
成年カテゴリーとしては初めて出場となりました。相方は、坪井聖弥選手(苫小牧市役所)、このコンビはこのあとも続いていきました。
SPはまとめ上げて5位スタートとなりました。3シーズンの長きにわたって使用したFSもこれが最後となりました。3連続ジャンプ予定だった2Aが両足着氷、ダウングレード判定となったあと、3Sに+2T+2Loを付けるリカバリーを見せていました。FS11位で総合11位、7位~11位までの点数差は1.88という状況でした。
3月、全日本選手権出場が評価され、東京理科大学から研究・課外活動において優秀な成果を収めたと認められ、学長から賞状と副賞が授与されました!
[7]
その後公開された特集インタビュー記事で、大学院進学を考えていると話していました。
[6]
大学進学、上京、拠点変更と大きく変化した上に、新型コロナウイルスによって翻弄されたシーズンでした。競技を続行できる環境になったこともある一方、無観客大会、大会そのものの中止も起き、混沌とした期間でした。
2021-22シーズン、SP・FS共にプログラムを変えました!SPは長谷川選手が『得意とするところから外れる』と言う曲に、敢えて挑戦しました。FSはSPに対し、本人が得意とする『流れるような綺麗な曲』を選択しました(曲についての詳しい解説は2022年をご覧ください)。
[12]
SP・FS共に、高橋大輔氏がシングル時代に使用したことのある曲でした。
初戦は8月下旬に行われた『東京夏季フィギュアスケート競技会』です。この時はジュニア・シニアカテゴリーではSPのみ実施される大会でした。感染拡大防止のため、無観客かつ中継の実施が無かったため、ジャッジスコアから、この時に初めて新しいSPを披露したものと推測します。3Aに挑み、ダウングレード判定となりました。
10月上旬に行われた東京ブロックは、前のシーズンと同じく無観客でFODによる中継が行われました。6分間練習では、3Aに挑む様子も映し出されていました。SPはルッツとフリップでアテンションマークが付いたものの、まとめ上げて1位発進となりました。今回が初披露となるFS、SPに引き続きアクセルはダブルにして滑りきりました!カサブランカではChSqに入れていたイナバウアーを、StSqの大きな見せ場とし、ChSqでは代名詞のロングイーグルに手の振りをつけてからの…大きなバレエジャンプに多くのファンを驚かせました!最後のエレメンツは海の上のピアニスト以来となる、FCCoSp、バックスクラッチをしてフィニッシュしました!FSは2位、SPでの点差によって総合1位となりました!東京ブロック初優勝を果たしました!
『1位を取れたということは純粋に嬉しい気持ちが、すごく大きいです』
[8]
とインタビューで答えました。
また、練習では3Aの調子が良かった時があったものの、本番となると難しい所があって、結果回避する形となったと述べていました。
学業についての話題では、最初は『氷との摩擦が少ない金属を探すんだ!』と思っていたものの、生体材料に興味があると話していました。
1週間後に行われた東日本インカレはFSのみ実施されました。前の年度はインカレそのものが中止になったため、初めて出場しました!無観客でかつ、中継が無い大会でした。ジャッジスコアから推測すると、転倒は無し、コンビネーションジャンプを付ける予定だった3Fがダウングレードとなって付けられず、最後の3Lzに+2Tを付けてリカバリーを図ったものと思われます。この大会は2位でした!
2週間後の東日本選手権も無観客で行われました。東京ブロックと同じ、『ダイドードリンコアイスアリーナ』で行われました。
SPは2Aのダウングレード判定、両足着氷となり、ルッツとフリップでアテンションマークが付き、3位発進となりました。StSqの途中でニースライドしながら片足を蹴り上げるのは振付であり、これには驚きました!FSは冒頭の3Lz+3T、Lzの踏切エッジはクリーンと判定されました。続くジャンプは1Aとなりました。4本目のフリップがダブルになったあと、+3Tを綺麗に付けて決めるシーンがありました!FS3位、総合3位、2016年以来となる東日本表彰台に上りました!2016年大会とも同じ会場で行われていました。
『決まらなかった3Aがある』
[13]
と大会後のインタビューで言及し、この大会は3Aに挑んだ結果でありました。それについて反省の弁を述べつつ、
『去年に引き続き出ることが出来たので、すごく嬉しい気持ちです』
と答えていました。
11月の都民大会は無観客かつ、中継無しで行われました。ジャッジスコアから推測すると、この大会で、SPにおいて3Aを初成功させました!GOEプラス評価、クリーンな成功も初めてとなります。FSも3Aに挑み、ダウングレード判定、僅か0.02の差で2位となりました。
12月にさいたまスーパーアリーナで行われた全日本、新型コロナウィルス感染対策に翻弄されつつも、有観客で行われました。この全日本の前に行わる『ワールドユニバシティーゲームス』出場選手に出場予定選手が隔離期間により出れなくなる可能性を考慮し、男女2枠ずつ多く出場枠が与えられました。結果、男女シングル共に32人エントリーすることとなりました。結局その大会は中止となりました。男子は全員出場したため、SPは32人滑ることになりました。
この時のパンフレットの趣味・特技欄が大きな話題ともなりました!東京理科大学の広報の公式Twitter(現:X)で『先生方解説をお願いします』と呟くほどでした。筆者が纏めた趣味・特技欄の変遷はこちら
今特技・趣味欄で話題の長谷川一輝くんの、これまでの変遷をまとめてみた🔽
— Lena@パワーアップ中 (@07atskatelove) December 24, 2021
2015・16年 特技 そろばん/趣味 野球
2017年 特技 そろばん
2018年 データなし
2019年 趣味 読書
2020年 特技 料理/趣味 読書
2021年 特技 シュレディンガー方程式の固有値を求める/趣味 量子力学で電子の存在確率を考察する
以後、趣味・特技欄が注目されるきっかけとなりました。
SPは長谷川選手のあとに、同門の選手が滑るという滑走順でした。6分間練習の最後に、3Aを降りてイーグルを付けるほどのクリーンな成功をしていました。本番は、冒頭の3Lz+3Tが詰まり気味で降り、続くジャンプは2Aにしました。フリップがダブルになり、21位でFSに進出しました。FSの6分間練習では、3Aが一発で決まっていました。そして、本番、2本目は3Aで両足着氷、ダウングレード判定となりました。筆者は、あのさいたまスーパーアリーナの4階席から見る大きなイーグルは格別だったと、今も記憶に残っています。FS22位、総合22位で2度目の夢舞台を終えました。
『アクセルの確率を上げることに注力できて、一応構成に入れることはできて、ジャンプの面で成長できたのかなと思います。』
[10]
全日本後のインタビューでこう述べていました。
翌年1月、北海道帯広市で行われたインカレ、無観客で、FODの生中継が入った状態で行われました。前年度はインカレ、その代替大会も中止となったため、初めて出場となりました。FSのみ実施、全てのジャンプでミスが出て26位となりました。
同じ月に行われた国体、無観客で、前年度に引き続き国体チャンネルでの生中継で実施されました。
コールされたあとに、リンクサイドにいる北海道メンバーにこぶしを上げる姿が映し出されていました。
SPはアクセルをダブルにし、全てのエレメンツでGOEプラス評価、スピンが全てレベル4とクリーンな演技で7位発進となりました!
FSも単発のアクセルをダブルにし、滑りきりました!4本目のフリップにアテンションマークが付き、3連続ジャンプ予定の2Aが両足着氷、ダウングレード判定となって3連続にならなかったこと以外はまとめ上げました!大学生になって以降初めてFSで120点代をマークし、FS7位、総合7位、総合180点代もシニアに上がって以降初めてでした!
前年度は逃した北海道の入賞に大きく貢献しました!
この時の公式アーカイブをご覧ください↓
2月下旬に、札幌で開かれた『フリースケーティング大会』に出場しました!この時は無観客でかつ、メディアの取材が無い大会でした。このシーズン限りで引退する姉と、最後に一緒に出場しました!
2022-23シーズン、SPはプログラムを変え、FSは継続しました(曲についての詳しい解説は2023年をご覧ください)。
シーズンの初戦は8月初旬に福岡県飯塚市行われた『北九州オープンフィギュアスケート競技会』でした(通称飯塚杯)。長谷川選手にとって、SP・FS両方行われる大会においては、これまでで最も早いシーズン初戦となりました。SPの衣装は前のSPの衣装を着て出場しました。StSqで、一瞬無音になるタイミングで前後開脚してスライドする技を披露し、話題となりました!FSでは、6分間練習の時に3Lz+1Eu+3Fを飛ぶ姿が映っていて、本番でも実施しようとしたものの、2Lz+1Eu+Sと判定されました。このシーズンは、スピンの大幅なルール変更が行われました。飯塚杯はレベルの取り方を探り、レベルの取りこぼし等様々な課題があった大会でした。
数週間後の東京夏季では、ジャンプ構成に関しては、その前のシーズンと同じ構成に戻したものと推測されます。
9月、敬老の日に行われたクラブの発表会、コロナ禍に人前で演技を披露する機会を与えるために始めた試み、この年から一般客も入れて行われました!当初は名前が無かったものの、出演することになりました。この時のスピンは、飯塚杯とは違うものに変り、これがその後の大会で継続されることとなりました。
10月初めの東京ブロックは無観客で行われました。
SPは、ここで初めて衣装を披露しました!着実に決めていく演技を見せ、7位に付けました。ルッツとフリップの両方でアテンションマークが付き、FCSpがレベル1という判定になりました。
FSは、スピンが飯塚杯から変わったと思いきや、キスアンドクライで、横谷先生に『スピンあんだけ間違えないでと言ったのに』と指摘されました。ジャンプ面においても細かなミスがあった中、耐えていき、FSも7位、総合7位で終わりました。
東日本インカレは、無観客でかつ、中継が入らない大会でした。この大会で、2本目のジャンプを2A+3Tに、3本目のジャンプを3F単独に変えるという作戦に出ました!そして、ジャッジスコアから見て、ノーミスの演技!132.74と、シニアに上がってから初めてFS130点台に乗せ、2018年フリースケーティング大会で出した、自己ベストに迫る点数をマークしました!
東日本選手権は無観客で行われました。実質4枠で争うこととなりました。演技をまとめ上げてSP3位に付けました!キスアンドクライで、『よし、予定通り!』と言っていました。3連続ジャンプの予定だった4本目のジャンプが2A単独に流れてしまいました。だが、1番最後の3Lzに+2T+2Loを付け、リカバリーしました(2Loは4分の1の回転不足、qマークが付きました)!総合191.17で2位!これがシニアにおいて総合の自己ベストとなりました!大会後のインタビューで、『自分が(全日本の)ボーダーになりかねない状況で』と振り返り、最後の3Lzからの3連続ジャンプのリカバリーについては『根性でー!』と語っていました。
東日本2位により、ワールドユニバシティーゲームスの選考会に呼ばれ、都民大会のSPの日の夜、補欠第3位に選出されたことが発表されました。都民大会、この年も無観客かつ中継無しのため、ジャッジスコアから推測すると、翌日のFS、最後の3Lzで転倒した模様です。実は、大会で転倒したのは2018年国体以来でした。東京都スケート連盟主催のローカル大会初優勝を果たしました!
12月の全日本選手権、キスアンドクライに書いた言葉は『堅実に』。
SPでは、その言葉通りに、着実に要素を決めていき、リズミカルに踊って18位に付けました!全日本に3度出場して初めて、第2グループで滑ることとなりました。
FSは長谷川選手のあとに、同じリンクを拠点にして、同年齢の西山選手が滑るという滑走順でした!6分間練習のリンクイン前にはお互い固く握手を交わすシーンが見られました。本番、冒頭のジャンプを決め、続く2Aが単独になり、3Loで転倒となりました。StSqはレベル3判定、その後は耐えつつ滑りきり、FS22位、総合22位で終わりました。
1月のインカレは、FSのみで、有観客で行われました。有観客での開催が発表されたのは、全日本選手権が真っ只中でした。一般観客にとっては、2週間ほどで、急遽、観戦に行くような状況でした。開催地は、北海道時代に何度も練習に通った、苫小牧市でした。
全日本選手権終了後から、ミスの修正に重きを置きながら、休む間もなく調整を重ねていました。家族や友人が来ていた中、1番滑走で迎えた本番、冒頭の3Lz+3TをGOE+1.18で決めたのを皮切りに、全てのエレメンツをGOEプラス評価でまとめ上げ、スタンディングオベーションが起きました!スピンでレベル4が1つ、スピン2つとStSqがレベル3の判定、ジャッジスコアにマイナス評価が1つもない演技でした!
[14]、[20]
この内容に本人も『うまく調整して試合に臨むことができた』と語っていました。そして、3Aの成功を目標に据えていました。
この大会が、本人にとっても、一番印象的な試合ともなりました。
1月下旬に行われた国体は、事前にメールで申し込んだ上で、有観客、更に、事前にPCR検査等を受けた選手・関係者は声出しが認められて行われました。
SPの6分間練習で、1年ぶりに3Aに挑みました。そして、本番でも挑みました!結果は回転が認められた状態で転倒となりました。続くコンビネーションジャンプのセカンドジャンプがダブルになり、16位になりました。FSでは3Aに挑まず、これまでの予定構成で滑りました。FSは14位、総合は2つ順位を上げて14位で終わりました。
翌月に行われた、SPのみ実施の関東学生有志大会に初出場しました。この時は一般無観客かつ、無中継のためジャッジスコアからの推測になりますが、冒頭3Aに挑戦し、国体と同じく回転が認められた状態での転倒となりました。
(次のページでは、2023-24シーズンと競技引退への話をします)